野口留雄先生インタビュー

野口留雄先生は、所沢支部の創設に携わり、以後現在まで約半世紀の間、支部活動の要となって活躍されてきました。法制定50周年にあたり、支部創設当時の思い出をはじめ、今後の支部に期待することまで多岐にわたりお話をお聞きしました。

聞き手:小泉支部長、高村前支部長、串崎50周年記念誌編集委員

 

串崎野口先生がこの仕事を始められたのは何年頃からだったのでしょうか?
野口東京にいた昭和46年頃から始め、その後狭山市で開業しました。
埼玉の団体は最初の頃は「社団法人埼玉県社会保険労務士協会」だったのが、昭和51年に「社団法人全国社会保険労務士会埼玉会」と再編されました。その後その関連で所沢支部ができた訳です。
串崎所沢で最初の6人の方というのが、野口先生をはじめ、赤津久雄先生、野本利輔先生、藤本照雄先生、森田輝雄先生、栗原先生でしたね。
野口そうです。この6人は労働省サイドでした。その後厚生省サイドの田中隆先生、小川喜久子先生、飯能の村田昌代先生の3人を加えて9人になったんです。
串崎これで9人が揃って、晴れて所沢支部の基礎ができたのですね。
串崎最初の頃は社会保険労務士の認知度が低かったのでご苦労とお聞きしました。
野口知名度が低いのでよく保険屋さんと間違われて、社会保険と言っても一般の生命保険や傷害保険と同じように思われていて、事業所に行ってもよく「保険屋さん来たよ」と言われていましたね。
串崎どのように顧客を開拓されていったのでしょうか?
野口飛び込み営業もしましたが、労働保険年度更新の行政協力の時が大きいんですよ。私たちの時には一人40件くらい受け持ったんです。3週間から1カ月くらいかけて回ったと思いますが、40件くらい回ると10件は顧問契約に結び付いていましたね。
野口当時は行政とすれば労働保険事務組合の育成という目的もあったと思います。
串崎先生が事務組合を始められたのはいつ頃ですか?
野口 私が事務組合を設立したのは昭和48年10月で、12月1日付で承認されています。所沢では同じくらいの時期に田中先生、森田先生、私と常世先生、野本先生が作ったんですよ。続いて村田先生とか大囿先生も承認されました。ところが、私が県の理事をやっている頃だったか、個人の事務組合設立が難しくなって、それで全国的にSRを作ることになった訳です。
小泉初歩的な質問で申し訳ないのですが、事務組合を作ると行政としては何かメリットがあったのですか?
野口行政とすれば、ある程度事務処理を軽減できる訳です。離職票の場合でも賃金台帳をもって来て窓口で作成したりしなくていい。労働者名簿とか賃金台帳、出勤簿のチェックを一切省略できます。事務組合が持って来れば信用できるということですね。もう一つ大きい目的は保険料の徴収ですね。事務組合を作る側として一番のメリットは報奨金。それから手続きの簡略化ができることと特別加入ができることですね。
それから保険料の3分割納付ができる。こんなことで会員も増やしていきました。
串崎最初の頃、支部会はどんな会場で行っていたのですか?
野口所沢緑町の昔の労働基準監督署の近くに労働基準協会というのがありますが、集まるのは多くたってせいぜい10人ですからここで開催して、監督署の講師をここに呼んで研修をやったりしていました。打ち上げなんかやるときには、まずパイオニアから機械を借りてきて、マイクを使って歌を歌ったりしました。監督署の1階に卓球場があり、そこで卓球をやったりもしましたね。研修も労働基準協会でやっていました。そこの書棚にヘルメットがあるでしょう。
小泉SRって書いてありますね。
野口あのヘルメットをかぶって安全靴を履いて、高麗武蔵台団地の工事現場、秩父の方の有馬ダムとかその他の工場や工事現場に見学に行くのに行きました。私たちの時代は、実務的というか研修も安全が第一でしたから。
小泉現場を見に行ってどういうことをやるんですか?
野口現場に行ってどういう機械でどんな危険性があるかを実際に見て勉強する必要があると思うんです。実際に見ておくと事故があった時などにはその経験が活用できるという訳ですね。例えば工場なんかで事故があったときに、実際にどういう機械で、その機械はどういうふうに作動してどういう危険性があるのか勉強するためには、やはりボール盤だとか旋盤だとか実際に見て覚えておく必要はありますね。
昔、熱心な監督官がいて、その人たちが先頭に立って連れて行ってくれました。
小泉そういう研修はやりたいですね。当時はそんなことを年に何回くらいやってらしたんですか?
野口赤津先生がそういうことが好きというか力を入れていたんだよね。だから結構やってましたよ。
野口10名くらいだから結束は固く、一人が「こうしよう」と言えば、みんなが「よし!」とすぐに応じる態勢はありましたね。「今晩いっぱい飲みに行く」と言えばすぐに話がまとまる。そういう点では人数が少ないときの方がやりやすかったかも知れませんね。今の人数ではなかなかまとめていくのは大変ですよ。
小泉昔は支部会に出ないと情報がもらえなかったというような理由もあったと思うんですよね。
野口今はインターネットで情報が得られますからね。
高村支部会に行かなくても済んじゃうんですね。
小泉すると支部会に出る動機づけとしては、「行くと何か仕事につながる」とかそういうことでもあればみんな来てくれるんでしょうかね。
高村以前は、労働保険の未申告事業所の提出勧奨や社会保険の5人未満の適用促進など結構仕事につながるものがありましたね。今はなかなかそういうものがないですよね。
野口そういった行政協力を通じて行政の方と交流することもありました。今は窓口だけで終わってしまう関係になってしまいましたね。
小泉電子申請の場合には窓口での交流さえなくなってしまいますね。
高村そういうことですね。お付き合いはだんだんと希薄になりますね。便利なようで逆に情報も入らないんですよね。窓口に行けば職員さんから情報が得られるということもあるんですけどね。
串崎昔は紙の申請しかなかったから、監督署に申請用紙をもらいに行って、次に事業主さんのところに行って、それから提出に行かなきゃならないという感じでしたね。
野口今は監督署に用紙をもらいに行ったら「自分でダウンロードしてください」と言われてしまいますね。
高村社会保険でもずいぶん変わってきましたね。氏名変更とか住所変更が必要なくなっちゃうんですね。会社で知らなくても「この人が氏名変わりました」って協会けんぽから自動的に新しい保険証が来てしまう。随分便利になったなと実感します。
串崎便利になるのはいいですけど「社労士いらないんじゃない?」ってことにもなりかねないですね。
野口その話は出てますね。一番問題はそこなんです。皆さんが社労士の将来をどう見ているか、私もお聞きしたかったことです。
串崎今後の社労士のあり方、社労士が生き残っていけるのかというのは大きな課題ですね。
野口10年先は様変わりしているでしょうね。何故かというとまず人口が減りますよ。また事業所数も減ると思うんです。「人が集まらない、お金が集まらない、体力がもたない、後継者がいない」といった理由で事業が継続できないところが増えてくるのではないでしょうか。後継者がいないというのはどの業種においてもネックですね。
マイナンバーによって、雇用関係、年金関係、税金関係がドッキングされていくようなことになると手続き業務は自動化していくでしょう。これからの社労士の仕事は難しくなるかも知れません。新人の人たちはどうやっていくのでしょうね。
小泉最近入会する人たちなんかは、自分の収入の6割はアルバイト等で、ダブルワークのまま2足の草鞋をどちらかにできないという人も多いと聞いています。開業はしているけれども、それ一本では生活できないという人も多いのかと。
野口AIの普及などを考えると社労士もこの先どうなるのかと思うのですが、何か問題が起こったときに、「これはどうしたらいい」というアドバイスができる。これはどんな時代になっても求められることだと思うんです。
串崎やはり人付き合いが一番大切なんじゃないかなと思います。手続きはインターネットやAIでできるかも知れないですけれど、親身に相談に乗ったりするところで信頼を得ていくのが大切なのではないかと思います。野口先生は顧問先さんとのお付き合いはどのようにされているのでしょうか?
小泉「とりあえず何かあったら野口先生に相談すれば大丈夫」みたいなワンストップ的な存在ですね。
野口それが最近変わっちゃいましたね。事業所も代替わりしてお子さんの代とかになってくると、顧問社労士に対する見方も変わってくるんじゃないかと思いますね。
小泉「親父の代はこうだったけど俺はそうはいかない」とかですか?
野口ハハ・・・そうそう。
高村そういう世代間のギャップはあるかも分からないですね。今みたいな非常に合理的な時代になってくるとね。そんな中で社労士がどういうふうに道を切り開いていくか大事な問題ですよね。新しく開業した人が夢を持てるような業界にしていくことも非常に大事だという気がします。
時代背景も見ていかないとならないですね。手続きが複雑だから社労士に依頼していた時代があったんですが、今はほとんどが便利になってしまっている。
野口それは得喪関係が第一でしょうね。得喪関係をただやるだけじゃあ意味ないですね。退職する人がいるとすれば、どうしてその人は辞めるのかというようなことを事業主さんともよく話して、職場環境についても相談するとかいうようなことをしていくことが大事だと思います。
高村企業にもよりますが、色々な部署があるような中規模の企業で得喪関係などは人事課でできるというところでも、労働問題では専門的な意見を必要としている場合がある。労務顧問ですね。我々の出番はそういうところにあると思います。勿論そのためにはレベルアップのために常に研鑽をつんでいかなければならないですけどね。昔は算定、年更が大きな業務だったけど、これからはそれだけじゃだめだなという気がします。
野口企業が何を必要としているか、何を望んでいるかを察知して、先取りして手を打っていかないとお客さんは離れてしまうでしょうね。
高村手続き業務でも制度が次々に変わってくるので、例えば産前産後、育児休業、復帰後の手続なんかでも逆に今までより複雑になっているということもありますね。
串崎法令や制度が次から次へ変わってきているというところを考えると、野口先生は50年近く社労士業をやられて来て、当初と比較すると法律も、手続きも大きく変わってきたと思うのですが、どのように対応されてきたのでしょうか?
野口法律が頻繁に変わるようになったのは、この10年か20年の間じゃないですか?それ以前はそんなに変わらなかったような気がします。楽な仕事でした。税理士さんがよく「毎年税法が変わって大変だ」と言っているのを聞いていたのですが、労務士というのは健康保険法にしても他の法律にしてもそんなに変わらなかった。これ程頻繁に変わるのはここ数年くらいじゃないですか。私たちが開業して何年かというのはそんなに勉強しませんでした。一度覚えると大体それでいけましたね。ところがここ数年は、何年もやっているのにどうして分からないんだと自分で思うことがあるくらい新しいことがどんどん増えてきています。ついこの間まで良かったのが、コロッと知らないうちに変わっていたということがあります。
小泉大川支部長から志村支部長の時代になって支部役員が一気に若返りました。
野口今の若い人たちをどんどん育ててください。今社労士会の会員は4万人でしょ、そのうち半分以上が50歳以上と思われます。世代交代が完全に来ているんです。
小泉埼玉会の理事会でも若い人が多いですからね。
野口い人にやってもらうと若い人も関心を持ちますし、いい効果を生むのではないでしょうか。今は支部の運営も順調にいっているので結構だと思います
小泉今の人たちはすごく協力的なんですが、この後をどうしていくかですね。
高村小泉支部長の間に次の人に渡す土台を作っておかなきゃならないですね。
小泉支部会でやるべきことは分かっているんです。支部の皆さんに的確な情報を与えられる場であること、そして支部会に行くとこの人に会えて話を聞けるという人と人との関係を作れることが支部が必要とされることだと思うんですが、じゃあ何をしたら人が集まるの?というその辺が悩ましいところです。
野口そんなに神経質にならなくてもいいと思いますよ。どこの団体でも多かれ少なかれみんなそうですから。
小泉人間関係が希薄になっていますかね。
高村会社だってそうですよね。社員旅行にしても「なんで参加しなくちゃいけないの?」っていう人も多いというじゃないですか。支部でもそういう傾向はありました。
小泉支部会をやっても人が集まらないとかそういうことは、私の責任かも知れないと思っていましたが、ある程度は仕方がないとするしかないんでしょうか。
支部会の参加者を増やすための試みとして今期から配布しているマニュアルシートはいかがですか。
野口あれはいいですよ。いいアイデアはどんどん実行していくことが大事です。
串崎いいことをやったらどんどん宣伝もしていった方がいいですね。
小泉ホームページもかなり変わる予定ですからね。野口先生、支部でこんなことをしていったらいいというご要望がありましたら是非お聞きかせください。
野口今は十分じゃないですか。私たちの頃の昔に比べたらレベルも格段の差があって、昔は飲み会の会合の延長のようでしたが・・・(笑)
小泉それが楽しみで集まっていらっしゃったということはあるかも知れませんね。
一人でやっていたら絶対に知らないってことがいっぱいありますね。相談もできないでしょうしねぇ。ちょっとしたことでも聞ける人がいると助かります。
高村やっぱりねぇ、先輩や仲間内から入ってくる情報って貴重なんです。
小泉表立ってはなかなか教えてもらえないようなことがあるじゃないですか。
高村飲みながらそういったことも教えてくれるんだよね。
串崎野口先生は支部の役員を皮切りに埼玉会の役員をやられ、政治連盟の役員そしてまた支部の顧問まで役員歴は切れ目なくずーっとですよねぇ。
野口開業して46年のうち45年間は何かしら役員をやってましたね。
小泉野口先生が埼玉会の副会長をされていた時に、365日のうち150日くらい、三日に一度くらいは埼玉会に行くとおっしゃっていたのを覚えています。
野口埼玉会に行くのもそうですが、あちこちの支部の総会だとか新年会にもいかなければならなかったので、全部ひっくるめてですけどね。
朝8時に電話がかかってきて、「今日労働局の局長が来るから10時までに来てくれ」っていうこともありました。2時間かけてとんで行って、労働局長は5分もいなかったね。(笑)
高村そういうお役を引き受けるためには、事務所態勢もできていないと難しいですよね。
野口そうなんです。朝5時頃にはもう仕事をしていましたものね。3時間くらいで全部処理して8時に出かけて行くという。
串崎それでよく体がもちますねぇ。その頃は若かったでしょうけど、今も変わらず現役でやられている体力っていうのは何か秘訣があるんですか?
高村健康のことですね。ちょっと聞かせてください。
野口健康のために夜のお付き合いは控えるようにしています。最近は夜の付き合いって言っても主に新年会と総会くらいですね。
高村昔の方たちっていうのは結構飲む方が多かったですよね。
野口飲みます、飲みます。夜の付き合いをするとどうしても飲む、そうすると遅くなる。それで体が疲れたりしたところに仕事っていうことになるとちょっとね。
高村オーバーワークになっちゃうんですかね。
小泉ほかに何か運動などはされていますか。
野口特にやってません。ただタバコは30年間吸っていません。昔は一週間に3日徹夜をやって、タバコは毎日3箱くらいは吸ってました。お酒もやはり飲みましたね。今は殆どやってません。
串崎ずっと現役でできるって最高ですよね。
野口実は、私も毎日ちゃんとタイムカードを打っているんですよ。
高村、小泉、串崎えっ!えぇーっ!そうなんですか!
野口入口のところにあるので見て行ってください。土日も勤務しています。
高村、小泉、串崎本当にありますね。驚きました。
小泉野口先生がカードを作って、それに「いつまでにどこに出さなければいけない」というふうに日付と内容を記載して、スケジュール管理しているということをお聞きした覚えがあります。
野口それは月単位でやっています。
小泉「今月やるべきことはこれとこれです」というような?
野口あとは法改正ですね。法律が制定後に段階的に施行されたり、中小企業だと何年猶予とか経過措置などがあるでしょ。それを忘れないように、例えば「平成30年」「平成31年」「平成32年」「平成33年」「平成34年」「平成35年」と年度ごとのファイルを作って法改正の実施される年度のファイルに入れておくようにする訳です。それを見ると法改正の猶予があった事柄を改めて思い出すことができるんです。
串崎これは大変勉強になります!いい方法ですねぇ。
野口今のところ、この先5年分のファイルを作っています。来年になったら平成31年のファイルを全部引き出して見てですね、今年はこの改正がありますとか、猶予期間が終わるということが確認できる訳です。
野口これは自慢話になっちゃうかもしれませんが、新規加入者に4団体(埼玉県社会保険労務士会、埼玉県社会保険労務士政治連盟、埼玉県社会保険労務士協同組合、埼玉SR経営労務センター)の説明会ってやっているでしょう。あれを企画立案して最初にやったのは私なんです。
小泉えーっ!そうだったんですか!
野口それまでバラバラに説明会がされていたのですが、それぞれの団体の責任者を呼んで、月に一回一緒に説明会をするようにしました。また、それまでは会員章のバッジは自分で買ったのですが、それ以後は無料で配布しているはずです。
それから、行政の窓口に「社会保険労務士以外はやってはいけません」というプレートを置くようにしたのも私です。これは埼玉県内の職安の所長会というのがあって、当時大宮の所長が代表でしたが、その人と私と埼玉会の高野専務と3人で各職安を回って置いてもらえるようにしたんです。
「社会保険労務士」ってどうしてつけたかって言うとね、当初は労働サイドの一方的な名前だったんですが、後になって厚生サイドの要望をいれ「社会保険」というのも加えたんです。
もう一つ、50周年記念だから言いますけど、30年だったか35周年記念で統一名札を企画立案したのも私です。記念行事で皆さんに配ったんです。
名札は広島会が最初なんですよ。その次が埼玉会でした。これまた自慢話になってしまいましたが・・・。
串崎ハローワークや年金事務所の「会員名札掲示板」も野口先生が中心になって作っていただいたということをお聞きしています。
野口あれは松澤先生とふたりでね。
小泉事務組合が3分の1でしたっけ?出してくれて、今年もお金払い込みました。
串崎今日は本当に色々貴重なお話をお聞かせいただいてありがとうございました。
野口まだまだねぇ。裏話があるんだけどね。
高村、小泉、串崎えっ!これ以上の本当の裏話ですか?
小泉録音もできないような話ですね。切ったら話してもらえるんですか?

 

録音修了
この後本当の裏話は続きます。